法相宗大本山 興福寺(奈良市登大路町)参拝~南円堂・北円堂同時開扉~
先月の奈良旅で、国宝特別公開2019として「南円堂・北円堂同時開扉」が行われていた法相宗大本山 興福寺を参拝しました。(特別公開は2019年10月17日から11月10日まででした。)
通常の御開扉は、南円堂は毎年10月17日のみ、北円堂は春秋の年2回なのですが、今年は特別に同時開扉が行われました。
南円堂前に設置された白いテントが特別公開の受付になっていて、こちらで拝観料を納めます。
(二ヵ所共通券(記念品付き) 大人 1,000円、中高生 700円、小学生 300円)
写真正面のお堂は南円堂ですが、南円堂は西国三十三所の札所でもあり、後日、【西国三十三所観音巡礼】の記事にまとめる予定です。
北円堂の受付で拝観券を提示し、普段は入れない北円堂の中へ。
北円堂は、養老4年(720)に元明太上天皇と元正天皇が、藤原不比等の菩提のために建立を発願し、長屋王に命じ、一周忌の8月3日に完成した八角形のお堂です。
その後、火災と平重衡による南都焼き討ちで焼失しましたが、承元4年(1210)に再建され、興福寺に残るお堂の中では最も古いお堂となり、国宝に指定されています。
お堂の正面が入り口となっていて、入らせていただくと、すぐ正面に「木造 弥勒如来(みろくにょらい)坐像(国宝)」、その周囲には、「木心乾漆造(もくしんかんしつづくり) 四天王立像(国宝)」、向って右に「木造 無著(むじゃく)菩薩立像(国宝)」、向って左に「木造 世親(せしん)菩薩立像(国宝)」が安置されています。
お堂もですが、全てが国宝です。
もう、息をするのさえ憚られるようなそんな空間です。
「木造 弥勒如来坐像」は南都焼き討ち後の建暦2年(1212)頃に再興された像で、運慶晩年の名作といわれています。
弥勒菩薩が56億7千万年後に成仏した姿なのだそうです。
「木心乾漆造 四天王立像」は、こちらは運慶作ではなく、延暦10年(791)の平安時代に制作された像で、最初は奈良市の大安寺(だいあんじ)に伝来し、後に興福寺に移ったのだそうです。
「木心乾漆造(もくしんかんしつづくり)」とは、木肌の上に厚く、木くずとうるしを混ぜたものを盛り上げて整形する造り方なのだそうです。
恐らく色彩もあったのだろうと思います。
「無著菩薩立像」と「世親菩薩立像」は今回特に拝観を楽しみにしていました。
無著(むじゃく)さんと世親(せしん)さんは、北インドの法相教学の祖師として尊崇された僧侶で兄弟です。こちらは運慶作です。
目には玉眼が嵌められているのですが、その表情は何かを言っているかのようでした。それだけでなく、後頭部とか丸みを帯びた大きな背中、衣のひだの線などをジーっと、じっくりとじっくりと見つめてしまいました。
お堂を一周しただけでは物足りない感じがして何周でも回りたかったのですが、後ろ髪を引かれる思いで、向って右側の出口から退出しました。
北円堂の前には鹿さんがたくさんいました。
話題の「鹿だまり」ほどの数ではないものの、ここもひとつの「鹿だまり」?
ところで、鹿さんがいる場所の下に礎石のようなものが見えます。
礎石だとしたら、かつては北円堂に回廊や門などが存在していたのでしょうか。
最後になりましたが、拝観料に「記念品付き」とありました。
気になる?「記念品」とは・・・
エコバッグと「ゆかり」でした。
拝観料を納めたテントの中でいただきました。
エコバッグは、靴を脱いで拝観する時の靴を入れるバッグらしい?のですが、靴箱があったので私は使いませんでした。
皆さんも「ゆかり」やパンフレットなどを入れている方が多かったです。
「ゆかり」は四天王像が描かれた、三島食品さんとのコラボです。
イメージの四天王像がいい感じです。
三島食品さんは、ポスターにも「特別協力」となっています。
ご朱印ですが、札所の南円堂はもちろん、北円堂のご朱印もありました。
興福寺は納経所(ご朱印受付)が南円堂前と東金堂前の二ヵ所にありますが、南円堂と北円堂のご朱印がいただけるのは、南円堂前の納経所です。
(東金堂前の納経所ではありません。)
訪れたのは10月ですが、北円堂前の紅葉が少しずつ色付いていました。