唐招提寺(奈良市五条町)参拝~鑑真和上に思いを馳せる&ロータスロード~
今回の奈良旅で、絶対行きたかった場所の一つが「唐招提寺」です。
井上靖さんの「天平の甍」を読んでから、鑑真和上がどんな思いで日本に来て、そして生涯を過ごしたのか、鑑真和上が過ごした場所で少しでも感じたいと思っていました。
読後かなりの年数が経ってしまいましたが、ようやく訪れることができました。
鑑真和上
鑑真和上は688年、唐の揚州で生まれました。
天宝元年(742)、第9次遣唐使船で唐を訪れていた僧から招請を受け、日本へ行くことになります。
12年間に5回の渡航を試みましたが、いずれも叶わず、その間に両眼の視力を失ってしまいます。
天平勝宝5年(753)、6回目の渡航にして遂に日本の地を踏みます。
以後、5年間を東大寺で過ごし、天平宝字3年(759)に新田部親王の旧邸宅跡が与えられ唐招提寺を創建します。
76歳で死去するまでの5年間を唐招提寺で過ごしました。
唐招提寺 南大門
「唐招提寺」バス停でバスを降りると、南大門が目の前です。
天平様式で建てられている南大門ですが、昭和35年(1960)の再建です。
左側に少し見えている窓口は拝観受付です。
拝観料を納め、門をくぐると、正面には有名な金堂が現れます。
金堂
国宝 奈良時代(8世紀後半)
金堂に安置されているのは、
盧舎那仏坐像の向かって右側に薬師如来立像(国宝 平安時代(9世紀))、
本尊の脇に梵天・帝釈天立像(国宝)、須弥壇四隅に四天王立像(国宝 奈良時代(8世紀))が安置されています。
金堂前にもハスの花が綺麗に咲いていました。
鼓楼(ころう)
国宝 鎌倉時代 仁治元年(1240)
金堂に向かって右後方に位置する重層からなる建物。鎌倉時代に再建されていますが、本来は経楼とみられています。
現在は仏舎利を奉安しているため「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています。
鼓楼の後方に映っている建物は講堂です。
講堂
国宝 奈良時代(8世紀後半)
講堂の本尊 弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と持国天、増長天立像(重文、奈良時代)など多くの仏像が安置されています。
礼堂(らいどう)・東室(ひがしむろ)
建物中央に馬道(めどう)といわれる通路があり、そこで南北に建物が分かれています。南側(手前)が礼堂、北側(奥)が東室です。
礼堂は、鼓楼に安置されている仏舎利を礼拝するための堂です。
内部に釈迦如来立像(重要文化財)、日供舎利塔(重要文化財)を安置していますが、拝観はできませんでした。
鑑真和上御廟
御廟へは木々に囲まれ、良い気が流れている境内を進みます。
御廟の門です。
門をくぐると、両側は綺麗な、気持ちが良い木立です。
青もみじも美しく、地面の苔もふかふかでした。
このあたりは、鑑真和上がそこにいらっしゃるかのような気があります。
この先に御廟があるのですが、ちょうど30名ほどの団体さんが法要?の最中でした。
僧侶の方もいらしたので、唐招提寺の僧侶の方かと思ったのですが、よく言葉を聞いてみると、どうやら中国系の言葉でした。
鑑真和上もお国の言葉での法要を懐かしく思い、近くにいらして耳を傾けていたかもしれません。
法要はすぐに終わるのかと思い、暫く待っていたのですが(御廟の前に大勢で陣取っていたので御廟の近くに行けなかったのです)、なかなか終わらず、心の中で合掌してお参りさせていただきました。
(余談ですが)ただ、別の外国人のカップル(欧米系の方)もいらして、終わるのを待っていたので、ほんの少しだけでも御廟の前を開けておいてもらえると良いなあ、と思いました。
私はまた来れるチャンスはゼロではないからいいけど、外国の観光客の方がここに来れるのは(恐らく)最初で最後だろうから、御廟の近くまで行ってほしかったなあ、と思います。
見頃の蓮
さすがに「ロータスロード」のお寺だけあり、境内のあちらこちらに蓮が咲いています。
こちらは、はす池です。
こちらはハス苑(と書いてあったと思います)。
中興堂にも蓮が咲いていました。
最後に弁天池の蓮です。白蓮です。
鑑真和上が日本へ来ることになってから、そして日本へ来てから、どれほど困難であったか、私の想像をはるかに超える困難があったと思うのですが、それを成し遂げられたのは強い信念があったからこそだと思う一方、それだけではない、簡単に言葉にできないものもあったのだろうと思います。
同じ場所に立ち、同じ空気を感じることができて、やはり来て良かったです。
またお参りに来させていただこうと思います。