LIFE LOG(小さな幸せ気分)

小さな幸せ気分

~心穏やかな毎日とシンプル、丁寧な日常の風景~

2019年京都 vol.1 ~毎朝6時から行われる東寺の生身供(しょうじんく)に参拝~

 


 

こんにちは。

 

どこかのCMではないけれど、「京都行こう」と思い立ってしまいました。

 

夜行バスに乗り、京都駅に着いたのは、朝4:45.。

予定より少し早く、無事に京都駅に到着しました。

(京都まで、安全運転で無事に私を運んでくださったバスの運転手さんに感謝します。)

 

 

このように早朝から活動できる機会なんて、そうそうあるわけではありません。そこで、今まで時間が合わず断念していた、東寺の「生身供(しょうじんく)」へ参拝することにしました。

「生身供」とは、毎朝6時から、弘法大師空海様へお食事をお供えする法要です。

空海様の住房だった「御影堂」で行われるのですが、現在「御影堂」は修理中のため、お隣の「大日堂」で行われます。

 

交通機関はまだ動いていませんので、「徒歩」で東寺へ向います。

東寺に着いた時もまだ真っ暗、月とシルエットの五重塔もなかなか良い感じです。

 

東寺


 

6時少し前になると、信者さんが集まってきます。

顔馴染みらしく、みなさんであいさつを交わされていて、「やはり旅行者はいないのかな・・・」と思っていたら、6時頃になって、初めてらしき方も来られてひと安心(笑)。

 

こちらの唐門の前で開門を待ちます。

下の写真は、明るくなってから撮影した唐門です。

東寺

東寺

 

6時、ゴーン、とお寺独特の鐘の音が響き渡ると、それを合図に門が開けられます。

靴を脱いで現在の御影堂である「大日堂」の中へ。

信者さんが最前列に並び、すでにお経を唱えています。

やはり、初めての方は、後ろの方に遠慮がちに座っています。私も一番後ろに座らせていただきました。

お堂の中には、全部で30~40人はいたでしょうか。思っていたよりもたくさんの方々が来られていましたし、初めての方も多いようでした。改めて空海様の凄さを知りました。

 

お堂の真ん中には、「大日堂」ご本尊の大日如来様。その前には、大日如来様へ朝のお勤めをされるお坊様。

それから、別のお坊様がお一人入ってこられ、右側のお厨子の前にお座りになりました。

そして、お厨子を開けます。

私は大日堂へ入ったのは初めてで、どのように法要が営まれるのか知識がなかったのですが、お厨子を開けた時は、「もしやこの(中の)像は空海?」なんて驚いてしまいました(笑)。

この法要の時は、お厨子が開けられ、中の空海様の像をみることができるのです。といっても、遠いし、お厨子の中は暗いので、はっきり見えるわけではありませんでしたが・・・。

 

法要はまず、一の膳を運ぶ担当(?)のお坊様が運んでこられ、お膳をお勤めをされるお坊様へ渡します。そして、空海様の前へ置き、お二人のお坊様で3回の礼拝をされます。その後、お一人のお坊様でお勤めをされます。

これを3回(一の膳、二の膳、お茶の3回)繰り返します。

その間、信者さんはずっと、お経をお唱えしています。

そして最後に、仏舎利を授けてくださいます。

この仏舎利は、空海様が持ち帰った仏舎利なのだそうです。

まず、最前列の信者さんお一人お一人の頭と両手に、お坊様が仏舎利を授けていきます。授かった信者さんは、後ろにいる人達に「どうぞ前へ」と言って席を譲ってくださいますので、最前列へいき、お坊様が来られるのを待ちます。

が、どのように授かれば良いかわからず(笑)、ちょっと困ってしまいました。

頭へ授けていただくのは良いのですが、手をどうすればいいのか?前の方のを見ようと思っても、陰になって良く見えず(笑)。ただ両手を広げて差し出せば良かったようですが、なにぶん初めてなもので・・・(笑)。

なにはともあれ、空海様が持ち帰られた仏舎利を授けていただくなどというご縁をいただけたことに感謝です。

 

法要が終わり、大日堂の外へ出ると、太陽が顔を出し、すっかり明るくなっていました。

 

前回来た時には気付きませんでしたが、高野山の遥拝所がありました。

空海は、東寺を密教の根本道場とし、高野山を修禅道場としたそうです。

東寺

高野山遥拝所

東寺

 

初めて「生身供」に参拝させていただきましたが、毎朝欠かすことなく続けられていることに、畏敬の念を抱きます。

機会があればまた参拝させていただきたいです。

 

掲げてあった「お大師さまのおことば」です。

東寺



心を離れて更に法なし

  心を離れて存在するものはない

 

そこに「花がある」のは、厳密に言うと、

心が認識しているのだから「花を認識

している心がある」ということになります。

もし「心を離れて何かがあるはずだ」と

考えたとしても、それもやはり心だから、

心を離れて存在するものはないのです。

その心に執着するから苦が始まるのです。

事実を素直に受け止めるだけでいいのです。

自分の心を変革していくのが仏教です。

 

 

東寺

 

 

東寺餅のお店はまだ開店していないだろうな、と思いつつ伺ったら、まさかの開店中。

東寺餅を買いました。

東寺餅

 

ひとつ140円。お店では食べられないので、ホテルに戻ってからいただきました。

柔らかで程よい甘さの餡、美味しかったです。

東寺餅

 

朝早く、京都に着いた時は、東寺と東寺餅、オススメです。

(東寺餅のお店は定休日があります。)

 

    東寺餅